咳が止まらない

中途半端なおたくのOLのブログ

終わりのはじまり

 

自分の意思とは関係なく、推しのおたくで居られなくなる日々が来るということは、本当はずっとずっと、わかっていたはずだった。


きっと、推しに会えなくなったその日から、何事もなかったかのように、私はドルヲタではなくなるだろう。2推し候補もいない。もともとメジャーなバンドにしか興味が無く、おたく属性は持ち合わせていなかったから、元に戻るだけといえばそうだ。でも、戻った自分が想像できないくらい、推しはいつのまにか私の精神の大きな部分を占めていたらしいことを今更痛感している。

 

日本にはない制度のために韓国の男性は30歳になるまでに2年間、生活を離れなければならない。もちろんそれは芸能人も例外ではなく。それはもうずっとファンになったときからわかっていて、みんな通る道だし、覚悟はしていた、つもりだった。

 

実際のところ、まったく出来ていなかったけど。


ふわふわとした覚悟とか理解はわたしの頭の片隅に追いやられ、推しと近くで会えば会うほど、イベントに行けば行くほど、現実は曖昧になり、信じたいものしか信じなくなっていたようだ。幸せでいればいるほど、楽しければ楽しいほど、もう会えなくなるかもしれないなんて事実からは目を背けがちになる。


終わりは、すぐそこまで来ていたのに。

 

さらに言えば、時期だって明確にわかっていた。こっちのマネジメント会社との契約期間は今年で一区切りだということは知っていた。契約した時に期限を言ってくれていたから。今思うとすごく親切だ。

それなのに、実はぎりぎりまで延長するんじゃないか、まだ大丈夫なんじゃないか、っていう根拠のない期待だけを信じていた。あっけなく、本人たちの言葉によって、その期待は打ち砕かれた。

 

状況だけみれば、よくここまで続いた、という評価が正しい。動員は増えず、キャパは広がらず、新譜もほとんど出ず、同じ客から単価を引き上げるだけの運営、マンネリ化したステージ、馴れ合いの空間。
ひいき目にみても限界がきているのは明らかだったけど、どんなにマンネリ化しても推しとメンバーが好きだし、グループの歌は素晴らしかったとは思う。とにかく、歌はじょうずだった。活動の規模と歌唱力は、まったく釣り合っていなかった。

知ってた、わかってた、でも、っていう無限ループを何回繰り返せば、受け入れられるのかなあ。

 

数年後の活動なんて何一つ保証がない。もっと売れていれば、芸能活動を続けられると思うけど、そういうわけでもない。何も保証がないまま、待ち続けられるおたくがどれだけいるんだろう。

 

いざ活動再開して戻って来ようと思ったとしても、ただでさえ少なかったおたくは更に減っているだろうし、私だって100%駆けつけられるかと聞かれたら、わからない。人生も仕事も正直あんまりどうでもいいんだけど、それを捨てきれない現実主義者もまた、私なのだ。もちろん駆けつけたい。でも今と同じ熱量ではきっと会えない。それはみんなそうだ。だからこそ、もう少し、今が続いてほしかった。

 

推しが言った。

 

 

いつか戻ってきたいけど、それが何年後になるかは、僕にも、誰にもわからない、って。

 

絶対に、とか、必ず、とか、耳触りのいい気休めを言わないところが、ほんとうに好きだと思ったし、同じぐらい悲しくて、引くほど泣いた。

 

いつか、推しもグループもうたわれた歌もおたくだった私もいろんな思い出も、風化していくのかな。あの時はあんなに必死におたくだったなあ、って笑い話にする日が来てしまうのかな。

 

ハリーポッターの憂いの篩みたいに、記憶を今のまま別の場所に保存して、いつでも眺められたらいいのに。推しが好きだっていう今の感情も、辛さも、思い出も、言葉も、光景も、わすれて、曖昧になって、日常に溶けていくのが、わたしは一番悲しい。