咳が止まらない

中途半端なおたくのOLのブログ

久しぶりに推しが待ち受けになり、愛について考えたという話

推しが雑誌に載った。あまり珍しい事ではないが、きちんとカメラマンに撮ってもらった写真というのは雑誌ぐらいでしか見られないので、いつも必ず買う。

 

撮影の様子がSNSに出ていて、すごく仕上がりが良さそうだったので楽しみにしていたんだけど、これが近年稀にみるっていうか今までで一番レベルで格好よく写っていて、届いた日からちょっと浮ついている。特に一枚、すごくすごく好きな写真があった。

不意に見られた時に恥ずかしいのと精神状態が落ち着かなくなるので普段は推しを待ち受けにはしないんだけど、今回に関しては雑誌をiPhoneで何度も撮り、待ち受けに大大大設定した。ほんとびっくりするぐらいかっこいい。落雷。え、こんなにかっこよかったの??突然やめてくれ。いや、普段もかっこいいけどさ…。


こんなに写真を見ているだけで心臓が止まりそうになるひとを、ひとと、わたしは何回も喋って、写真を撮ってもらって、手を握ってもらって、わたしの一方的な告白を聞いてもらって、好きだよと言ってもらって、なんかもうわけがわからない。そりゃ仕事だしそうしてもらうためにお金払ってるから当たり前なんだけど、なんかもうそのギブアンドテイクが壊れるほど、待ち受けの推しはひたすらにかっこいい。


こんな幸せな事はあるんだろうか。写真を見ているだけで世界が止まりそうになるひとに出会えるひとは、どれだけいるんだろうか。それとも街を歩いているあのカップルは、お互いの姿を写真で見ているだけで、力が湧いて来たりするんだろうか。そうだとしたらなんて素敵なんだろう。私はちがった。

 

こんなに推しが好きなら、もうそれで私の人生いいんじゃないかと感じた。
どうして愛は双方向じゃないと愛と言えないみたいな風潮があるんだろう。
なんで結婚してなかったり恋人がいないと愛がない孤独で可愛そうな人みたいに思われるんだろう。
一方通行だとしても、一方通行であるからこそ、双方向より大きく、壮大な愛かもしれないじゃないか。でもこれはストーカーの考え方に通じそうで危険だね。わたしはストーカーではありません。

 

だいたい愛が1対1である必要はあるのか?
日本の結婚という制度になぞらえて考えると1対1じゃないとうまくいかないのでそうなっているだけなんだろうけど。1対1でないといけない理由の本質は、独占欲と嫉妬心と自己愛だと思う。好きな人には自分だけを好きでいて欲しいというのは、結構驕り高ぶっている気がする、本当に本当にその人を好きなら。

 

とにもかくにも一枚の写真だけでこんなことまで考えさせられてしまうとは思ってなかったけど、それぐらい良い写真を見られてわたしはとてもうれしい。


行けない現場があるのが嫌でモチベーションの行方不明が起こっていて今後のイベももう行かなくていいかなと思ったり(チケは取ってるんだけどね、その辺覚悟が足りない)、

当たり前のことだけどわたしなんかいらないじゃん、全部行けないならもう全部やめても一緒じゃん、っていう無限ループに陥ってたんだけど、そんなん関係なく推しは顔が良くて見ているだけで息が詰まるほどすてきだということを一枚の写真で思い出させてくれた媒体様、ほんとうにありがとうございます。

 

しばらく待ち受けに君臨してもらいたいけど、仕事中も見てしまってどきどきしてガチな話で心臓に良くない気がしてきたので早々に変えるかもしれない。

今日はものすごく晴れていてとても落ち着かないけど、待ち受けを見るたびにひとつすっ飛ばす私の鼓動を早めるのに一役買っている気はする。

 

早く仕事を終わらせて帰りたいです。