10代の呪い
10代の頃に聴いてた音楽っていうのは、今聴いてるどんなに高度な音楽でもってしても超えることはできない。その当時音楽を聴いて受けた感動だったり衝撃だったりっていうのは、今どんなにいい音楽があっても、超えることは本当にむずかしい。
両親を除いて世界一尊敬している人、というか神様のことば。本当に、そう思う。
10代のころ。1人の声しか聴いていなかった。バンドも、ソロも。朝から晩まで。ぜんぶそれだった。染まっていた。
10代の終わりごろ。バンドにしか興味がなかったけど、あの人をテレビで見て、落ちた。アイドル現場はたのしかった。初めてのことばかりで。
かっこよくてしょうがない人を思いっきり「かっこいい」って言える、好意の一方通行の気持ちよさ。
かっこよくてしょうがない人に直接会えて、喋れたり握手したりできるもんだから、一気に溺れていった。
神様をすきなことは、イコール人生なので、やめたいとかやめようとか思ったことは一度もない。
でもアイドルは、さいきん苦しいことが多くて、濁った感情も増えてきて、いっそばっさりやめてしまおうと思うのに、やめられない。
なんでだろう。なんで執着するんだろう。
あと一つ、私が執着しているもの。
10代のころ、初めて付き合った人。別れて何年もたつ。
さすがにもう表情も声もしぐさもいろいろ忘れたし、好きの感情は心のどこを探してもみつからないけど、ふとした瞬間に思い出したり、夢を見たりする。
これも嫌だなあ、どうしてネチネチ引きずるんだろう、気持ち悪いなあ私。
と思っていたのだけど。
10代だ。
10代の呪いだ。
どっちも10代に好きになった。
というか、20代になってから、好きになったものがあまりない。ものも、人も。
数年経つのに、頭の中はぜんぜんアップデートされない。
10代の幻影を当時すきになったものに映して、追いかけて、はや数年経ったことにぞっとする。
いつまで私はこうなんだろう。っていう焦燥と、もうあれぐらい熱い情熱を注げるものが、今後出てこないんじゃないか、っていう諦念。
燃えるような恋、もきっと、10代のそれには適わないんじゃないかと思う。わからないけど。
無敵で、目の前しか見なくてよくて、羞恥心も「若いから」という最強の武装で固めてなかったことにできた、あの頃。
ずっと一緒に居よう、を何の不安も疑いもなく、口にしていたあの頃。
もちろん「ずっと」なんてないかもしれないってことだって知っていた。
それでも、希望の割合が違う。今とは。希望の方がぜんぜん多かった。将来も、なんとなくに任せて上手く行くって思ってた。
今に不自由はしていない。ただ、希望が減った。現実が増えた。べつに、夢がやぶれたわけじゃない。そんなもの持ってもいなかった。
これはただの頑張らない人の言い訳だ。わかっている。
大人になるにつれて自分から自然となくなった、漠然としたきらきらふわふわした楽観みたいなものを、アイドルを追うっていう中身がない行為で補っているのかもしれない。
まだ若くいられるんじゃないか。まだバカみたいにきゃーきゃー言ってていいんじゃないか。
そう思えるから好きなのかもしれない。
それか単純に、疑似恋愛。アイドルはいつだって笑顔をくれる。ありがとうって言ってくれる。
私の好意は、絶対に拒否されない。絶対的な安心感。相手の気持ちなんて考えなくていい。楽だ。楽すぎる。
その楽なぬるま湯にずっと浸かっているのだから、ちょっとやそっとのことじゃ抜けだせない。もう来るところまで来てしまっている。
終わりだな。
てもいまが楽しければいいとも思う。
複雑。
いつ夢から醒めるか
自分で稼いだお金をせっせとつぎこんで全力でアイドルをおっかけるっていうのは、たぶん、期間限定でできることだと思う。
というか、私は期間限定でいたい。
追っかけとか鑑賞は、楽しい思い出は残るけど、それ以外、ぶっちゃけ何も残らないよなあと、最近よく考えてしまう。
何かを残すために好きでいるわけじゃないんだけど、うまく言えないけど、
のめりこめばのめりこむほど、この楽しさとか幸せは永遠じゃないって虚しさが増大されていく気分。
大きな声では言えないけど、気づいたら35歳とかになってて周りを見渡したら何もなかった、
っていう悪夢からは逃れたい。切実に。
オタクのなかには結婚願望ない人もいるけど、私は普通にどっかで見切りつけて結婚したいし子供も育てたい。
だけどこの願望もまた、オタクであることをやめられない自分に対する見栄というか、
なりたくてもなれなかった「リア充」への憧れの残滓なのかもしれない。
オタクで生きていくんだー!!って言い切れない弱さとズルさみたいな。
何言ってんだろう。よくわからない。
とにかく、今は若いときにだけ許される夢をみているようなものだ、と思っている。それもギリギリ。
もういつ醒めてしまうかわからないし、起きろよって肩をたたかれている、そんな気分に苛まれている。
これは自分の問題だ。次から次へと、いつまでも醒めないでいることもできるだろうし、どこかで見切りをつけて、オタクをやめ、現実世界に上がる選択をすることもできる。
何も全部切ろうとは思っていない。すきなものを絶つ理由なんてない。
でも、今みたいにお金も時間も全部を費やす応援の仕方は、期限付きだなあと感じる。
で、その見切りをどこでつけるか。
あまりにも短絡的だけど、いまはうっすらと、あの人が兵役にいった時かな、と思っている。
韓国の男性アイドルはみんな30歳ぐらいになるまでに2年間、兵役にいく。
いろいろあるけど、その間はほとんど芸能活動はできない。
あの人のグループはとてもじゃないけど、兵役後も存続できると自信をもって言えないから、実質、会えるタイムリミットはもうそこまできているんだろうし、兵役にいって帰ってきたらもう、私もあの人もいい年になっている。
ほんとうに。
芸能活動をつづけるのか、一般人にもどるのか、どう考えてるかはわからないけど、最近俳優の養成学校みたいなところに通っているみたいだから、一応芸能活動はやっていきたいと思ってるのかもしれない。
万が一、億が一、俳優になれたら、ドラマとかでは見れるね。そうなったらすてきだな。
もちろんグループが存続してくれるのがいちばんうれしい、けど、たぶんない。
だから兵役までは夢見てていいかな、その時が来たら醒めて、私もオタクから一般人にもどって、生活しようと、覚悟してる。
理想的なプランは、兵役に行ってる間の2年間で結婚して、もどってきてまたもし芸能活動して、会うことが出来たら、「結婚したよ!」って言いたい。
向こうからしたらそんなの知らねーよって感じだろうけど。いいの。
ぜんぶ自己満足だ。
まとめると、
「兵役行くまでは大手を振ってオタクやってもいいよね?!」
という、まったく意味のない言い訳をしながらオタクをやっています、という内容でした。
あー怖い怖い。
外にでると金木犀の匂いがした。
金木犀にこれといった思い出もないのに、ちょっと切なくなるのは何なんだろう。
今年の夏も終わりだ。
今年の夏もたくさんお金を使った。
夏の備忘録はまたまとめようと思う。
大学の図書館
大学は居場所があるようなないような感じでそんなに好きじゃなかったけど、大学の図書館は好きだった。
居場所がなかったから好きだったのかな。
常日頃仲間と一緒にいる人も、いない人も。
静かな図書館では一人でいる人が圧倒的に多い。
勉強してる人、本を読む人、PCでレポートをうつ人、それぞれだけど、みんなひっそりとした空気を壊さない、心地いい一人の空間。そんな感じだった。
みんなも、唯一息が抜けるところだったのかもしれない。
一階の自習スペースは、午後は日が射して眩しく、眩しい時間になると司書さんがブラインドを下ろす。
その音で、ああもう3時か、と気づく。
外の葉っぱの影がノートにうつり、ドイツ語の文字が滲んで、かさなる。
一向に予習は進まない。諦めてツイッターのタイムラインをひっぱる。みんな暇そうだ。
あと地下の書庫も好きだった。
階段で地下に降りると空気がひんやりし始めて、喧騒も遠のいていく。
金属製の無機質な移動式本棚には天井まで本が詰まっている。降りて右に進んだ辺り、芸術学や美術史学の書庫を何往復もしながら本を選ぶ。
レポート用の文献、卒論用の建築様式の本、などなど。背表紙を見ては手に取り中身をパラパラめくって、読みきる自信がないな、と本棚に戻す本も多かった。甘ったれだ。
片っぱしから読めばよかったんだ。今となっては国会図書館に行かなきゃ読めない本だってたくさんあったかもしれない。
ああ、学べる環境に身を置きながら積極的に学ばなかったことを悔やむなんて、ばかのやることだし、紛れもなくわたしはばかだ。
でもいつだって、恵まれた環境にいるときにはそれに気づかない。
いつもそうだ。いつも懐古厨。
まどろむような膨大な時間を埋めるように図書館にいたけれど、思い返すとどこを切っても愛おしい空間だった。
有名私大の図書館で勉強している私、というくだらないプライドも手伝ったかもしれない。
もどりたいなぁ。もどれないなぁ。
過ぎ行くものはどうしてこんなに美化されるんだろう。
言い訳
カウンセリング(セルフ)
オーマイゴッド
今から書きたいのは、ものすごく好きなものがある人(ヲタク)と、ヲタクになるほど好きなものは無いかつ、ヲタクの考えを理解できない人の間に広がる、途方もない溝についての私なりの考察というか叫びです。もう語り尽くされた感はあるけど、まあいいです。