いつ夢から醒めるか
自分で稼いだお金をせっせとつぎこんで全力でアイドルをおっかけるっていうのは、たぶん、期間限定でできることだと思う。
というか、私は期間限定でいたい。
追っかけとか鑑賞は、楽しい思い出は残るけど、それ以外、ぶっちゃけ何も残らないよなあと、最近よく考えてしまう。
何かを残すために好きでいるわけじゃないんだけど、うまく言えないけど、
のめりこめばのめりこむほど、この楽しさとか幸せは永遠じゃないって虚しさが増大されていく気分。
大きな声では言えないけど、気づいたら35歳とかになってて周りを見渡したら何もなかった、
っていう悪夢からは逃れたい。切実に。
オタクのなかには結婚願望ない人もいるけど、私は普通にどっかで見切りつけて結婚したいし子供も育てたい。
だけどこの願望もまた、オタクであることをやめられない自分に対する見栄というか、
なりたくてもなれなかった「リア充」への憧れの残滓なのかもしれない。
オタクで生きていくんだー!!って言い切れない弱さとズルさみたいな。
何言ってんだろう。よくわからない。
とにかく、今は若いときにだけ許される夢をみているようなものだ、と思っている。それもギリギリ。
もういつ醒めてしまうかわからないし、起きろよって肩をたたかれている、そんな気分に苛まれている。
これは自分の問題だ。次から次へと、いつまでも醒めないでいることもできるだろうし、どこかで見切りをつけて、オタクをやめ、現実世界に上がる選択をすることもできる。
何も全部切ろうとは思っていない。すきなものを絶つ理由なんてない。
でも、今みたいにお金も時間も全部を費やす応援の仕方は、期限付きだなあと感じる。
で、その見切りをどこでつけるか。
あまりにも短絡的だけど、いまはうっすらと、あの人が兵役にいった時かな、と思っている。
韓国の男性アイドルはみんな30歳ぐらいになるまでに2年間、兵役にいく。
いろいろあるけど、その間はほとんど芸能活動はできない。
あの人のグループはとてもじゃないけど、兵役後も存続できると自信をもって言えないから、実質、会えるタイムリミットはもうそこまできているんだろうし、兵役にいって帰ってきたらもう、私もあの人もいい年になっている。
ほんとうに。
芸能活動をつづけるのか、一般人にもどるのか、どう考えてるかはわからないけど、最近俳優の養成学校みたいなところに通っているみたいだから、一応芸能活動はやっていきたいと思ってるのかもしれない。
万が一、億が一、俳優になれたら、ドラマとかでは見れるね。そうなったらすてきだな。
もちろんグループが存続してくれるのがいちばんうれしい、けど、たぶんない。
だから兵役までは夢見てていいかな、その時が来たら醒めて、私もオタクから一般人にもどって、生活しようと、覚悟してる。
理想的なプランは、兵役に行ってる間の2年間で結婚して、もどってきてまたもし芸能活動して、会うことが出来たら、「結婚したよ!」って言いたい。
向こうからしたらそんなの知らねーよって感じだろうけど。いいの。
ぜんぶ自己満足だ。
まとめると、
「兵役行くまでは大手を振ってオタクやってもいいよね?!」
という、まったく意味のない言い訳をしながらオタクをやっています、という内容でした。
あー怖い怖い。
外にでると金木犀の匂いがした。
金木犀にこれといった思い出もないのに、ちょっと切なくなるのは何なんだろう。
今年の夏も終わりだ。
今年の夏もたくさんお金を使った。
夏の備忘録はまたまとめようと思う。
大学の図書館
大学は居場所があるようなないような感じでそんなに好きじゃなかったけど、大学の図書館は好きだった。
居場所がなかったから好きだったのかな。
常日頃仲間と一緒にいる人も、いない人も。
静かな図書館では一人でいる人が圧倒的に多い。
勉強してる人、本を読む人、PCでレポートをうつ人、それぞれだけど、みんなひっそりとした空気を壊さない、心地いい一人の空間。そんな感じだった。
みんなも、唯一息が抜けるところだったのかもしれない。
一階の自習スペースは、午後は日が射して眩しく、眩しい時間になると司書さんがブラインドを下ろす。
その音で、ああもう3時か、と気づく。
外の葉っぱの影がノートにうつり、ドイツ語の文字が滲んで、かさなる。
一向に予習は進まない。諦めてツイッターのタイムラインをひっぱる。みんな暇そうだ。
あと地下の書庫も好きだった。
階段で地下に降りると空気がひんやりし始めて、喧騒も遠のいていく。
金属製の無機質な移動式本棚には天井まで本が詰まっている。降りて右に進んだ辺り、芸術学や美術史学の書庫を何往復もしながら本を選ぶ。
レポート用の文献、卒論用の建築様式の本、などなど。背表紙を見ては手に取り中身をパラパラめくって、読みきる自信がないな、と本棚に戻す本も多かった。甘ったれだ。
片っぱしから読めばよかったんだ。今となっては国会図書館に行かなきゃ読めない本だってたくさんあったかもしれない。
ああ、学べる環境に身を置きながら積極的に学ばなかったことを悔やむなんて、ばかのやることだし、紛れもなくわたしはばかだ。
でもいつだって、恵まれた環境にいるときにはそれに気づかない。
いつもそうだ。いつも懐古厨。
まどろむような膨大な時間を埋めるように図書館にいたけれど、思い返すとどこを切っても愛おしい空間だった。
有名私大の図書館で勉強している私、というくだらないプライドも手伝ったかもしれない。
もどりたいなぁ。もどれないなぁ。
過ぎ行くものはどうしてこんなに美化されるんだろう。
言い訳
カウンセリング(セルフ)
オーマイゴッド
今から書きたいのは、ものすごく好きなものがある人(ヲタク)と、ヲタクになるほど好きなものは無いかつ、ヲタクの考えを理解できない人の間に広がる、途方もない溝についての私なりの考察というか叫びです。もう語り尽くされた感はあるけど、まあいいです。