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咳が止まらない

中途半端なおたくのOLのブログ

言い訳

世間はゴールデンウィークらしい。ライブも現場もないから特に休む理由がなく、3連休が2回だったけど、特に予定らしい予定もなく、まあ友達とご飯食べたり少しは外に出た。てかだいたいの日は外に出てた。いいじゃん。上出来だわ私のGW。

何に対していいのか、何に対して上出来なのかわからないなあ。
母と散歩した、5月にしては暑すぎた日差しを浴びた、地元の道と神社が、眩しい。

母は病気と闘っているんだけど、「病気と闘っている」という表現がまったく腑に落ちないほど普通で、いつも通りで、悲嘆にくれることもなく、家事も全部やろうとしちゃっている。
もちろん今までの日常は消えた。それは消えた。消えたけど、家族が闘病、という2文字をそれぞれで飲み込んで、もういちど「日常」を構築し直した。そんな感じ。

別に時間を惜しむとか、そんなつもりもないけど、私は前よりもなるべく家に居たいと思っている。

カウンセリング(セルフ)

朝目が覚めて、なぜかわからないけど沈んだ気分になってることがある。
今がまさにそれ。ぱっと思いつく理由がないのになんだか寂しいし悲しい。
二度寝できる感じでもないので分析してみる。

仕事?
頑張れよ、頑張るよ、っていうだけで特にすごく気にかかっていることはない気がする。

人間関係?
今日の夜にあったはずの合コンがなくなった、けどそんなことはわりとどうでもいい。
拗らせる人間関係はあんまりない。

恋愛?
彼氏もすきなひともいねーよ。

趣味?
今月のファンミーティングの座席がちょっとトラブってものすごく悪くなったんだけど、言ってもキャパ400とかでいやいや近いしって感じだし、最初からあまり期待してなかったし、そんなんでこんなには落ち込まない。

家族?
母はちょっと具合が悪いけど家にはいるし、家族仲にはなんの問題もない。
毎日笑って踊ってるような家族だし。
私が家のことちゃんとできなくて母がやっちゃうからそこだけ気がかりかなぁ。

書いてて思い出したけど、
夢をみた気がする。
信用してた人?友達みたいな?に裏切られた感じの。それかな。それを引きずってるのかな。

もうネタがない。
なんでだ。
なんでこんな気分なんだろ。

土曜日の朝なんていちばんハッピーなはずなのに

アイドル沼から抜けたい

私は5年前からある韓流アイドルのグループの中のひとりが好きで、今どうやってそこの沼から這い出るか悩んでいる。

別に這い出なくてもいいじゃん?とも思うけど、いかんせん日本でやるファンミーティングとかライブのチケットが高いし、もうずっとここ3年ぐらい首の皮一枚で存続してる感があるぐらい売れていないし、1番悲しいのが、未来が見えない。
売れていないというかCDが出せない。
3年前ぐらいに契約を切られてからレコード会社がつかないんだよね。

星の数ほどグループが出来ては解散を繰り返す韓流アイドルのなかで、往生際が悪いのか、やめられない理由があるのか、なぜここまで存続できているのかはわからないけど、彼らは不定期に日本に来てはイベントを開いている。

かつてはオリコンで週間6位あたりにいて、それなりに人気もあったけど、ジャ●ーズやら三代目なんたらが群雄割拠する日本では、ほかのボーイズグループ、しかも国外の、が活路を見出すのは難しかったみたい。もちろん本国では無名に等しい。

ファンもどんどん減り、たぶん今では全国で1,000人いるかいないかだと思う。東京でしかイベントが開けないので集まるのは毎回400人程度。
ファン同士もなんとなく顔見知りになり、いざこざもあったりなかったり、アイドルたちも慣れきって、イベントはいつも停滞した空気とうっすらとした諦念と少しの夢とときめきが渦巻く、居心地の良いような悪いような空間になっている。

多分このままずるずると続き、兵役をむかえて解散、というのが1番リアルな未来で、それはステージの上でも下でもみんな心の奥底ではわかってて、でもその未来は見ないようにして、いつもなんの根拠もない約束だけを交わして韓国に帰っていく彼らを、これが最後かもしれないと思いながら見送る。

その繰り返しに少し疲れてしまったので、そろそろ潮時かなと思うのだけど、かつて彼らが放っていて私が夢中になった、キラキラオーラの残滓をもう一度だけでいいから見たいと思ってしまい、仕方なくイベントに足を運ぶ現状です。

1年後、どうなってるかなあ。
奇跡は起きないだろう。

歌は上手いんだけどなあ。ものすごく。
もったいないな。

オーマイゴッド

今から書きたいのは、ものすごく好きなものがある人(ヲタク)と、ヲタクになるほど好きなものは無いかつ、ヲタクの考えを理解できない人の間に広がる、途方もない溝についての私なりの考察というか叫びです。もう語り尽くされた感はあるけど、まあいいです。

 
私は、清々しく、健全に、なんの邪念もなく、ある1人のボーカリストのすべてが好きだし、彼の作る世界の中に住んでいたいと思っている。
1公演でも多く観たいし、見逃したくないし、だから他の色々なものを犠牲にしても、土日を駆使して国内ならどこでも行くスタンスで追っかけている。
いわゆる思春期の間、彼の声と歌にずっと支えられ続けていた。高校3年間はほとんど彼のバンドの曲しか聞かなかった。毎日聞いた。悲しくてもイライラしても嬉しくても、常に聞いていた。声を聞けば疲れは吹っ飛んだ。麻薬みたいだと思っていた。
 
そんな感じでだいすきなので、それを隠すこともなく人にも話すのだけれど、私が彼のファンだと知った人(特に男性)のベストオブ第一声が
 
「あ〜〜あーいうのがタイプなんだねーww」
 
である。
 
 
 
 
 
ハァ?
 
 
 
 
 
違います。
そもそもあーいうのってどんなんだよ、リアル世界であんなテイストの人いないし、いたらだいたい勘違い野郎だしイケてないよ。
 
 
そしてつきあった人に言われるベストオブ文句(私と、私の友達調べ)が
 
 
 
「俺とライブとどっちが大事なの」
 
 
 
 
ハァ?
 
 
 
 
どっちもだよ、ていうか横並びにすんなよ。比較対象にならないんだよ、お風呂とトイレどっちが大事?って聞かれたら困るだろ。
 
有名人のファンの方なら一度は経験あると思うこれ。まあもう既に本当に語り尽くされてるんだけど。
 
 
タイプとかじゃない、そんな下等な概念ではない。ファン的な「好き」と、恋愛の「好き」の間の差がない人たちに、どう説明したらいいのか。
 
 
酔っ払ったのもあって、いつしか「ああいうのがタイプなんだね」発言をした友達にその違いについて延々と説明したことがある。(うぜえ)
 
 
「この人は私の神なんだよ!宗教なんだよ!キリストなんだよ!神がタイプっておかしいよね?!そういうことなの!恋愛的な好きは違うの!私のタイプはなあ!塩顔で飄々としてるのに優しい人だよ!」
 
 
とかなんとか。うわあめんどくせえ。しかも確実に最後の情報いらねえ。
 
でも実際、本当に思う。ファンが追っかけてる対象はその人にとっては神みたいなもので、追っかけることがもうライフワーク、生活の一部もしくは半分もしくは全部になっている。だからリアルにお付き合いしている人と、神と、どっちが好き?と聞かれても比較対象になってないから、困る。いや、ど、どっちもなんだけど…。
 
ドルヲタやアニヲタやその他のヲタを理解できないと思っている方々、どうか、彼らは文字どおり「アイドル教」「アニメ教」の信徒なのだと思ってください。
 
理解できないのは宗教がちがうからです。異教徒なのです。ライブはミサであり、うちわやポスターはわかりやすい偶像崇拝、楽曲を聞くのはお祈りを唱えるみたいなもんです。
 
宗教だから、信仰しているものだから、どっちが大事?とか聞かれても困るのです。日本は無宗教の人が多いけど、例えばクリスチャンの人とつきあったとして、「俺と教会行くのとどっちが大事なの?」って聞かないでしょ。聞く奴は知らん。それと同じだと私は思っちゃうんだよね。気持ち悪い?やっぱ理解できない?わたしもだよ。自分でも気持ち悪いとは思ってるよ。
 
 
ある1人のボーカリストのファンであることはトイレとかお風呂とか食事とかと並んで私の中から外れることはないし、まあ年月が流れて彼も私も年をとって、今みたいには追っかけられなくなったとしても、歌は聞き続けるし写真も見返し続けると思う。
 
自分が好きでやってることを宗教に例えるのはおかしいけど、ファンと非ファンの違いを説明する方法としては私のなかで1番しっくりきているので、これからも「ああいうのがタイプねw」勢に対しては「あ、この人も異教徒だ」と思うようにします。
 
 
 

書くことについてちょっとまとめてみる

「猛烈に文章を書きたい!!」と思ったからブログを始めたわけなのですが、思い返してみれば今まではそんなことを思ったことがなかった。
書くことと私についてちょっとだけまとめてみる。

小学校1、2年生の時、月曜日の1、2時間目が作文の時間だった。土曜日と日曜日に起きた出来事を作文に書きましょう、ということなんだけれども、子どもにしてみれば2時間ぶっ通しで作文を書くのはわりと疲れる。
最初の頃はみんな飽きたり何を書いたらいいかわからなかったりしたが、だんだん友達と原稿用紙の枚数を競ったり、先生に褒めてもらいたがったりして、作文が書けるようになっていった気がする。

土日にお出かけしたり、友達と遊んだりしたのなら作文のネタには困らないんだけど、どこにも行かずひたすらお菓子を食べ続けていた土日の次の月曜日なんかは、「さすがにお菓子のことは書けない…でも書くしかない…」と子供心にも葛藤があった。でも、何を書いても先生はながーい感想を赤ペンで書いてくれた。
二条城に行ってそこで知ったことをすべて書き並べた作文がとても褒められて、嬉しかったのは今でも覚えてる。

多分、私の中での「書くこと」の土壌はその頃にできたのだと思う。

それから時が流れまくって高校生になり、受験生になった。
いろいろあって自己推薦入試(自己推薦というのは今でもわりと矛盾していると思う)を受けることにしたので、小論文を書く練習をたくさんした。
小論文と言っても文学部なので、かなり好き勝手に書ける。
入試では「愛されることと愛することとは何か」みたいな、高校生が語るには重すぎるというか、経験が足りなさすぎるというか、愛とかなんとかの前に彼氏もいたことないんですけどーー?!状態だった私には泡を吹くようなテーマだったけど、なんとか親子愛とか動物愛に話をすり替えてそれなりに満足いくものを書き上げて、なんとか合格した。

それから大学生活をへて、就職活動がはじまる。ここで出てくるのがESだった。ある程度フレームが決まってるとはいえ、文章で自分をアピールすることになる。
嫌々文章を書くことの苦痛さはたまったもんじゃないけど、ある程度コツがわかってきて、ESの通過率はわりとよかった。

そして就職して、10ヶ月ぐらい経ち、メール以外の文章をまっっっったく書かなくなった。学生時代は、作文にしろ小論文にしろESにしろ卒論にしろ、書かなきゃいけない状況があって書いていたのだけど、それが全くなくなった。

書くことを強制されなくなって、書きたくなったなんてアホみたいだけど、そういうことなのかもしれない。

昔、母に、文章を書く仕事、ライターとか記者とかが向いてるんじゃない?と言われたことがあって、そんなの冗談じゃない仕事になんてしたくないよ!
と思ったんだけど、今なら全然考える。もちろん簡単な仕事じゃないのはわかっているけど、選択肢から排除はしないかなあ。

書くことは、誰でも、いつでもできる。
自分を切り取って残しておける、そんな当たり前のことに、いま、気づいた。

ごった煮の、ライブレポもレビューも映画の感想もコラムも脳内ポエムもまぜた、自分語りのための空間。23さいの今考えたことを詰めた、恥ずかしい空間。
それを作っておこうと思った。

ブログは、TwitterやらFacebookやらインスタやらが横行跋扈している今、原点回帰も甚だしいけど、拗らせかけた大人になりかけの私には1番合ってそうな気がする。

咳が止まらない。

ブログをやろう、って思ったのは1ヶ月ぐらい前の話です。
たまたまTwitterで流れてきたジャニヲタさんと俳優?ヲタさんのブログを立て続けに読んで、打ちのめされた。ああ面白い文章のパワーってすごいな、って思った。
ひとつは病的なまでに若手俳優に熱をあげてる自分の気持ちを丸裸にして書いてて、その危なっかしさと、甘さと、苦悩に、少しだけ共感できてしまって、くらくらした。くらくらする文章に出会うことはあまりないから衝撃だった。

ジャニヲタさんのは「ジャニヲタ、合コンへ行く」みたいな記事で、テンポの良さと面白さと共感でしかない内容は、笑撃だった。

おもしろい文章が書きたい、というわけではないけれど、猛烈に文章が書きたいと思った。
そして2人のブログを読んで、わたしもいわゆるヲタクというか、何かのファンとしての人生を歩んでいるのだけど、最近になって色々と考えることもあり、そういうのを書き記しておこうかな、とも思った。10年後とかに笑って見返したい。笑って見返せればいいんだけど。

タイトルは、今の私の状況である。文字どおり咳が止まらない。年始から厄介な風邪をひいた。この風邪から始まるいろんな体調不良については別の記事にする。